2014年4月1日『エコノミスト』ダビンチでのロボット心臓手術について

問答無用

ロボットで手術を変える

渡邊 剛 心臓血管外科医

●聞き手-内田誠吾(編集部)

「医療現場へのロボット導入は百年に一度の出来事」

最先端の医療技術を導入し、日本で屈指の心臓外科医として知られる渡邊剛さん。手術支援ロボットの普及にも尽力し、手術の現場を変えようとしている。

-日本の医療現場にロボットを導入する先駆者として活躍してきました。

渡邊: 2005年に日本で初めて、医療ロボット「ダビンチ」を使った心臓外科手術を行いました。手術支援用ロボットは自動的に動くわけでなく、医師が内視鏡カメラを使いながら操作します。手元が震えず、切開・縫合などで精密な動作を可能にする代表的な手術支援ロボットがダビンチです。体の1~2㌢の創に内視鏡カメラとメスが装備されたロボットアームを挿入して手術をするので傷が少なくて済みます。
ダビンチを使うことのメリットは、「痛みが少なく、回復が早い」ことで、今までは手術をした次の日に食事をしたり、3日後に退院することなどは考えられませんでした。
 また、患部が体の奥深くにある手術では、血管や神経を傷つけると、手術後に後遣症が出たり、大量の出血をする可能性もあります。

-日本は米国や韓国に比べて後れを取った。

渡邊: 11年の9月時点で、米国での導入数が1478台、韓国では36台だったのに対し、日本は29台に過ぎませんでした。その後導入が進んで150台まできましたが、日本は非常に遅れていると言わざるを得ません。稼働率もとても低いと思います。先日ダビンチの代理店の社長さんと話していたら、3年間で22回しか使われなかったロボット(ダビンチ)があったと聞きました。

困難だったロボット導入

-何が問題だったのですか。

渡邊: その理由としては、薬事法による規制が挙げられます。手術支援ロボットは手術器具として保険の適用が非常に限定的でしたが、12年4月にようやく、ダビンチを使った前立腺全摘除術が保険適用となりました。他については経験豊かなスタッフが充実しているなど一定の条件を満たした病院でなければ「先進医療」として認められず、保険の対象となりません。
 先進医療として認められると、通常の保険診療との共通部分(診療、入院、投薬など)には保険が適用されますが、先進医療に該当する部分(手術手技、機械の消耗品)については保険の対象外になるため、ここは患者さんの全額負担となります。
 私が所属する金沢大学と東京医科大学(東京医科大学は3年前に退職)では、ダビンチによる冠動脈バイパス移植術の心臓手術については09年8月に先進医療として認められました。冠動脈バイパス手術は、狭くなったり閉塞している冠動脈(心臓の上にかぶさっている動脈)に別の血管をつなげる手術です。金沢大学と東京医科大学が、この難しい手術の実施可能な病院として認められました。日本では、この両大学以外は先進医療としてダビンチを使った心臓外科手術が認められていません。

-医療現場にロボットを導入することは大変でしたか。

渡邊: ダビンチは高額(2億~3億円)なため、勤務先の金沢大学病院では買ってもらえませんでした。ところがある日、知人が国会議員を紹介してくれました。ダビンチを日本に導入することの意義を説明したところ、関係者に働きかけてくれ、文部省から資金を拠出してもらうことになりました。
 私はそれまでも先進的な医療を積極的に進めていて、テレビで取り上げられたこともありましたし、一流専門誌に論文が掲載されるなど学術的な実績がありました。そうしたことが評価の前提にはあったと思います。
 ダビンチを購入できたのは良いのですが、当時、ダビンチによる心臓外科手術は保険の適用外でした。09年には先進医療として認定されるまでは、研究という扱いでダビンチによる手術を行い、経費は研究費を使いました。しかし、手術をすればするほど、病院は赤字となってしまうので研究費を使ったのは最初の20例だけです。その後は、300万前後の金額を全額患者さんに負担してもらうようになりました。
 前立腺がんの全摘出だけが保険の対象として全面的に認められている日本と違い、韓国はどの臓器に対してダビンチを使っても保険の対象となります。ドイツ、イタリア等欧州でも同じです。海外ではダビンチは完全に道具としてみなされているわけです。日本は、手術によってダビンチの使い方が限定されています。

 ダビンチによる心臓手術に挑戦する一方、世界初の内視鏡下冠動脈バイパス手術(開腹しないで、小さな穴を数か所開け、そこに特別な器具を挿入して行う冠動脈バイパス手術)、日本で初の心拍動下冠動脈バイパス術(心臓を動かしたまま行う冠動脈バイパス手術)など新しい手術を次々に成功させている。
 渡邊さんは手塚治虫の漫画の主人公「ブラック・ジャック」に憧れて医師になったという。ブラック・ジャックは医師免許を持っていないが天才的な技術で次々と困難な手術を成功させてしまうスーパードクターだ。

実り多かった富山勤務

- ブラック・ジャックのどんなところが好きですか。

渡邊: ブラック・ジャックはストイックな天才外科医としてだけでなく、権威などのくだらない物に媚びない、ヒューマンな心をもった医師だと思います。ブラック・ジャックは中学校3年から高校1年くらいまで「週刊少年チャンピオン」で毎週楽しみに読んでいて、中学生の頃、自分の将来の仕事は医者だと確信しました。

- ほかにどんなことに影響を受けましたか。

渡邊: 母が夜中まで働いてくれていたことをよく覚えています。会議のテープお越しの仕事をしていたのですが、ワープロのない時代だったのでタイプだと1度間違えると全部打ち直しになってしまいます。そういう厳しい環境で完璧な仕事を目指して一生懸命に仕事をしていました。自分の仕事が評価されていると母はとてみ嬉しそうにしていました。医師の道に進んでからもパーフェクト・オペレーションを目指す姿勢は母の影響があったからかもしれません。
 また、父が良く自動車の修理をしたり、改造したりしていましたが、私はその様子をいつも見ていました。血日親はとても器用だったのでおもちゃ屋に売っていないような機械を作ってくれました。「ない物は自分で作ればいい」という発想は今の私と同じですね。

- 金沢大学卒業後、ドイツに留学しました。

渡邊: ドイツのハノーバー医科大学で、ドイツ心臓外科の父と呼ばれるハンス・ボルスト教授に学び、2年半で2000件の手術を経験しました。手術の基本的トレーニングを積み重ねた期間と言えます。
 帰国後、富山医科薬科大学への勤務が決まった時は、最初はがっかりしました。東京育ちだったので地方はあまり好きではなかったのです。富山医科薬科大学には8年間いましたが、結果的に医者としての本当の実力を蓄積できた期間となりました。
 私が着任当時は、心臓の手術が年間10人くらいしかない大学でしたが、その分自分の自由な時間がありました。術後の患者さんに対応し、どうやったら身体への負担が少なくて済むかどうかを考え抜いた期間でもありました。身体に負担の少ないダビンチを導入しようと思ったのはこうした経験があったからです。忙しい病院だと術後の患者さんは和かい医師に任せるのがふつうですが、富山では対応する時間を十分とることができました。
 自由にやらせてもらえましたから、心拍動下冠動脈バイパス術や患者さんが意識がある状態で手術を行うアウェイク手術など先進的な医療に積極的にチャレンジすることが出来ました。伝統的な大学の医学部は伏魔殿のようなところが多く、自由な発想で研究することが困難場合が少なくありません。  業績が認められて、41歳で金沢大学心肺総合外科の教授になりましたが、金沢大学は05年にロボット導入に成功した以外、あまりよい思い出はありません。富山医科薬科大学に比べて自由がありませんでしたから。
 日本の医学界にロボットを本格導入したことに責任を感じて、08年には日本ロボット外科学会を造り、理事長をしています。ロボットは外科の在り方を根底から変えるという意味では、100年に1度の大きな出来事です。この有用性を多くの人に理解してもらいたいと思っています。ダビンチの特許があと4~5年で切れるので現在2~3億する価格も大幅に下がるでしょう。

-大工仕事やシリコン・アクリル造形などが趣味ということですが、ロボットや工作が好きなのですね。

渡邊: 実は自分でダビンチのような手術支援ロボットを造ろうとしたこともあります。5000万円くらいまで使って、ロボットの足の部分を作ったところで諦めました。ダビンチで心臓外科の手術を200人以上した医師は世界では20人程度しかいません。それほど限られた世界なので手術に必要な機器も絶対的に不足していたため、自分で考えて調達しなければいけません。機械に触れることは父の影響だと思います。子供のころから手先が器用だったので、外科医になれば誰にも負けないという自信はありました。

先進的な心臓手術で実績をのこしてきた渡邊さんは、名医でなければ心臓でも脳でもロボット手術はすべきはではないと話す。渡邊さんが関係する大学以外ではダビンチの心臓手術への保険適用が認められていない現実は、後に続く新進気鋭の心臓外科が少ないことを意味するのかもしれない。

時代の異端児

-開拓者的な仕事をしてきましたね。

渡邊: 私は新しい仕事に挑戦してきました。学術研究では筋肉を使った心補助などの分野を開拓しました。手術では日本で初めての心拍動下冠動脈バイパス術、世界で初めて内視鏡下冠動脈バイパス術を行い、アウェイク手術の創始、日本で最初のロボット手術なども立て続けに行いました。
 全て最初は学会で無視され、医学界の重鎮からの批判を受け続けました。人工心臓を使わずに心臓を動かしたまま手術を行う心拍動下冠動脈バイパス術を始めた頃は、天皇陛下の執刀医でさえも私の手術には批判的でした。私がこの手術を取り入れたのは、心臓を止めて人工心臓を使う手術では、脳梗塞を引き起こす危険があったからです。今では心拍動下冠動脈バイパス術は一般的になっていますが、当時は人工心臓を使って心臓を止めなければ、血管をつなぎ合わせる手術ができないと考えられていました。心臓を動かしたまま手術をすることに対して、猟奇的な手術と批判する人もいました。
 ロボット手術でも同業者からのやっかみや誹謗などあったように聞きます。これは患者さんを通して聞いたことです。ダビンチが心臓外科の分野で広く利用されているようになるのには、いくつかの課題があります。心臓外科については、私以外に手術ができる人がほとんどいないという現実があるため、厚労省は広く国民に還元できる保険医療にはそぐわないと判断しているのだと思います。また、対象が心臓であるので、一歩間違えば市に至るので慎重に判断したいという意見があるのも事実です。確かに、私も名医でなければ心臓外科や脳外科ではロボットは使うべきではないと思います。
 ただ、ここに問題があります。日本の心臓外科医でやってみようと手を挙げる人が誰もおらず、そうした教授たちは若手にこの手術を任せようとしないのです。先進医療会議のメンバーの中にも手術支援ロボットの導入に反対している教授が居ました。

-つらいことはありませんでしたか。

渡邊: 批判は全く気にしませんでした。雪深い田舎の富山医科薬科大学に努めていたとき、欧州や米国の大学や学会に出かけていましたが、学術的な実績や手術の手法などドクターの実力は大学名に左右されないことに気づきました。外国で田舎に勤務していても凄腕のドクターがいるわけですし、東京でも富山でもよい論文であれば一流雑誌に掲載されます。逆に、国や大学は関係なく、仕事の内容はドクター次第だということが良くわかりました。
 そのうち、批判を受けることを恐れずに先進的な仕事をすることが気持ちいいと思うようになってきました。子供のころから主流派にいることが嫌いで、時代の異端児だった吉田松陰に強く惹かれていましたからね。

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