東京医大に来た経緯
患者死亡事故が相次ぎ、担当科の教授が辞任、特定機能病院の取り消しの3大事件で大きくマスコミをにぎわせたのが、2004~2005年です。その解決案として出てきたのが血管外科とは別に新しい心臓外科を創設することと、外部から優秀な心臓外科医を呼んでくるということでした。その2つを同時にかなえるにはある程度のチームで移動してくること、そうでない限りはチーム医療の心臓外科でいい成績を残すことはできません。つまり、外科医1人が優秀でも、麻酔科の手術中の管理、ICUの管理、術後のフォローなどが一貫した哲学のもとに行われなければ、決していい成績を得られないのは当たり前のことなのです。そこで以前より時々お手伝いに行っていた縁もあり、東京医大の理事長と学長が金沢大の学長及び院長のところへ2回にわたりおいで頂き、私の期間限定の兼任教授が誕生したわけです。兼任と言ってもただのお飾りではありません。東京医大の新設した心臓外科の科長という臨床のトップとして、厳しい目がそそがれる衆人環視の中で東京医大の心臓外科を立ち上げ、さらに失われた心臓血管外科基幹施設の回復、そしてできれば特定機能病院への回復、という大きな命題をつきつけられていました。そのような中での赴任、そして6年間でありました。
Teamとしての心臓外科とは
6年間スタッフの異動を極力少なくし、心臓外科の医師、麻酔科医師、ナース、そして人工心肺士、秘書、コーティネーターと、少数精鋭部隊で文字通り1枚岩となって“Team渡邊”としてやってこられたことは大変幸せでした。特に手術中、最も緊密に一緒に仕事をした麻酔科ナース、先生たちには本当に頑張って頂いて多くの手術を執刀することができました。患者数は809人、待機手術548人、ロボット手術41人を手術成績99.5%でなし得たことがその結果を物語っています。これらの手術を通してわかったことは、外科のスタッフはあまり変えずに役割分担をはっきりさせること、麻酔ナースも一定の人で固定すること、そうすることで作業効率が上がり手術もスピードアップして早く終えることができるということです。
技術の積み上げとそれに伴う症例の積み上げは外科医、麻酔科医、ナース、ICUにも全てに共通の項目でした。
洗練された手術
当初、手術は1日1例が“精いっぱい”という麻酔科の制限がつけられていましたが、1例あたりが2~3時間で終わると、1日2件、コンスタントに入れてくれるようになり、多い時は3例の定例手術を無理なくこなすことができるようになり、周囲の目も変わりました。またトリクルエフェクトとして、他の診療科においても手術の効率がスピードアップしたのはおもしろいことでした。たとえば血管外科ではAAAの手術が1日1件だったものが2部屋を使用し縦つなぎで2例、つまり4件の手術ができるようになったりするなど、人間の慣れの感覚というのは効率的に進む場合もあるということでしょう。
Robot外科センターとしての先鞭をつける
私の依頼で、当時の伊東理事長のご英断により即決でda Vinci Surgical Systemを入れて頂きました。まずは心臓外科で導入し手術を開始、その後泌尿器科にも協力してもらい前立腺摘除術の臨床、そしてその後ギネが開始しました。4年後da Vinci Sを2台購入し、その後は呼吸器外科及び内分泌外科でも使用されるようになり、特に泌尿器科の前立腺摘除術は日本唯一のライセンターとなっています。
特定機能病院の回復及び心臓血管外科基幹施設へ
日本心臓血管外科学会の施設認定基準である年間100例の開心術を3年間条件付けられ、当初は金沢大学附属病院の関連施設としてスタートしたものの、3年経過した時点で基幹施設として認定されました。また本事件により喪失した特定機能病院も復帰したことも大きな仕事だったと思います。
子供手術見学会
5年前、以前から金沢大学でも行っている子供手術見学会を開催いたしました。幼少時の小学校高学年より本物に触れてもらいたい、そして新鮮な時期に命の尊さや生命の不思議、科学する探究心を芽生えさせたいという思いから開催したものですが、これが大盛況となりました。その後は「子供医学講座」と名前を変え既に7回が行われております。ただ最近では、本来の目的である患者さんに接したり、心に触れたりするというようなチャンスがなくなり、講堂に集められて講義を聴くといういわゆる講義形式になったことで、勉強的な意味合いがより強くなったことが残念でなりません。せっかくの課外活動ですから、もっと手や足、目や耳を使って色々と見て回ることが大事なのではないかと思います。
メディア
多くの雑誌、新聞社、テレビ局に取り上げて頂いたこと、これも東京医大を兼任するようになってきた頃からだと思います。awake手術やロボット手術など、私が取り組んでいる超低侵襲手術の取材が主でありました。
患者の会
患者さんに対して行うのは手術だけではありません。手術後のafter followが特に大事です。慢性期にはリハビリや体力回復に応じて色々な問題が出てきます。栄養指導もその1つです。そのために1年に1回、リハビリ士や栄養士など専門家を呼び話をしてもらいました。これもとても好評で、年に1度の行事として多くの患者さんが来てくれています。
私は早くて正確な手術、効率化した本当のteam医療、ロボット先端医学、子供手術見学会、患者の会、及びマスコミ等今まで東京医大にはなかったものを次々と導入してきました。自分で考えたものも多数あります。その評価は大変満足のいくもので、これらの環境を整えて頂いた東京医科大学に本当に感謝しています。今後はまた少し時間をおいてから活動を再開していきますのでよろしくお願い致します。
最後に一言
6年間は本当にあっという間でした。2006年の7月に兼任が決定し、9月に第1例目の手術が行われました。そして2011年6月末に1期延長、最長2期の任期が切れて退任したわけです。東京、金沢の往復は週に1~2度、週末を含めて多くの時間を東京医大のために割いてきました。体力、気力ともに大きく消費したものと思いますが、最後に来てちょっと疲れたのも正直な感想です。今後1か月は何もしないで休みたい、でも多くの患者が待っています。東京で、あるいは地方で患者の求めがあり手術ができる環境があれば、私は外科医ですのでどこへでも参ります。自分が必要とされているところ、求められているところに従って行き、自分の仕事をする、というのが私のモットーです。これからもそのような心臓血管外科医 渡邊 剛としてやっていきます。我々は患者を助けるために毎日働いているのですから。