石原 慎太郎さんに初めてお会いしたのは「東京医心」と言う雑誌のトップインタビューの時です。私と友人とで「東京医心」という医学雑誌、しかもフリーペーパーを東京で配布しようという思い立ちで始めた企画でしたが、そのトップインタビューとして石原 慎太郎さんの名前があがりました。そして石原 慎太郎さんと同級生でいらっしゃった櫻井さん(協和企画会長)のお取り計らいで都知事(当時)にお会いできることになりました。以前より「太陽の季節」などで有名な作家として、また常に新たなものに挑戦するタイプであり、アメリカにはっきりと“No”の言える数少ない気骨ある政治家としての石原さんを尊敬しておりましたので、この機会は大変嬉しく思いました。その都庁での対談の日はたまたま東京新生銀行(?)の焦げ付き問題で、都議会で石原氏が糾弾された、まさにその日の午後ということで、応接室に現れた石原さんは憮然とした表情でいました。まるで“怒ったライオン”といった様子です。私も対談を始めましたが「俺はなぜここに座っているんだ」「なぜこんなところにいなければいけないんだ」等と全く対話にならず困っておりました。そこに阿川佐和子さんが現れてくれてようやく場が和み、無事にお話が終わったのです。聞くに奥様も心臓病を患っていらっしゃるということでロボットのお話もし、「いつかは手術を見たい」とまでおっしゃって頂いたのを覚えています。その後石原さんの著書を多く読み、その考え方と宗教感、そして教育への情熱、改革の必要性、今の若い人に足りない挑戦する熱意と力というものを強く感じ、大変共感を持ちました。今の日本を憂い、携帯電話とインターネットに汚染された現代を悲しく思う気持ちは同じです。賛否両論は自由に、この凋落していく日本に歯止めをかけることができるとすればおそらくそれは橋下さんではなく、石原 慎太郎氏であると思います。是非頑張って下さい。このような政治家が後を追って出てきてくれることを望みます。
医療の世界をとって見ても、例えばロボット医療などはアメリカに大きく引き離されてしまいました。もちろん隣の韓国にもおいてかれています。厚労省による許認可制度が動かぬ以上、迅速にロボット医療は進みません。そういう流れに慣れてきた私達はこの状況が普通のことだとも思ってきますし、中央省庁に行って帰ってくると「あ、こういうことだからなるほどしょうがないな」と諦観も一緒に持って帰ってくる自分がいるのに驚きます。中央官庁には人を感化する大きな力があるのでしょうか。
大学病院も然りです。私の大学には2012年の7月に“da Vinci S”という手術用ロボットの新型機種が入りましたが。11月の末になりますがまだそれはつかえません。県の方から半額の1億円を出してもらったのに。世の中はこのようにゆっくりマイナスの方に引きずられて動いています。今の若い人もこのような閉鎖的な日本、閉塞感のある日本でどうしたら自分が夢を実現できるかを考えるために頭をひねって下さい。ひょっとしたら活躍の場は日本ではないかもしれません。闘うことも大切です。私は闘っていきたいと思います。