9/27から札幌で行われている日本胸部外科学会に行って来ました。毎年この学会は秋の良い季節に行うので開催地が楽しみの1つです。
今回は大動脈弁形成術の全国レジストリーの世話人会があったのでいきました。ニューハート・ワタナベ国際病院を開院してからは私はもう学会には出るまいと思っていたので学会は久しぶりでした。研究や学会活動は若い人に任せて、これからは患者さんに向き合って医療だけに残された時間は使おうと思っているからです。しかし用事もあって出かけていくとなかなか良いこともあります。
かつていた富山医科大の当時の一年生医局員が立派になってchief surgeonになっていたり、だいぶお年の大御所がまだまだ現役で会場の最前列で聞き入っていたりする姿をみたり、僕らと同年代の知り合いは、例外なく白髪や毛も薄くはなりましたが、芽のある奴は学会長や理事長に手が届くところいます。ひよっこの医局員時代、日本胸部外科学会は我々の最もあこがれの発表の場で、研究心旺盛な時は一人で何演題出せるか。とか、教室を持ってからは何題金沢大学から出せたのかとか、やれ大阪大学を抜いたとか、新しい手術の発表は胸部外科、Young Investigator Awardをもらったのも胸部外科学会でした。
胸部外科学会に育てられたと行ってもいいでしょう。あの頃は日本の胸部外科もまだまだで、アメリカやヨーロッパの後を一生懸命追っていましたし、年間心臓手術件数も大学で150件を超えるところはありませんでした。年間1000例が当然の欧米には足下にも及びませんでしたから。また胸部外科学会の良いところは、肺や食道の会員も来ますので、胸部外科教室を持つ大学病院の医局員は教室総出のたのしい一大行事でした、相部屋でわいわいとまり合宿のようでした。
しかし時代が経ち、胸部外科学会から呼吸器外科が独立したような形で逃げ出しました。これは日本だけの特異な現象で、アメリカやヨーロッパでは依然として胸部外科学会です。どうも分かれ出た理由は、ほんとかうそか分かりませんが、いつも胸部外科教室では心臓をやっているものが偉そうで、呼吸器をしていたものは冷遇されていたことや、道具まで心臓のお古をもらってやっていたこと、結核がいなくなり仕事も無かったけども肺がんが増えてきたことなど、また心臓外科のない時代、呼吸器をやっていた外科の先生のうち目端の利いた人は心臓に移っていったからだとも聞きました。そういえば私が入局した頃も、肺の手術はいつも心臓の手術が決まった後の枠で決まるのが常でした。
ともあれ胸部外科学会は呼吸器の参加者が激減、会長は時折呼吸器から選ばれる方式なのである程度の参加はありますがセッションも少ないです。
ついでに言うと肝心の心臓の方は、形骸化した胸部外科学会から、東京大を中心に心臓血管外科学会が作られ、さらに折からの専門医制度時代の流れの中、心臓血管外科専門医制度と症例の全国レジストリーができあがりこれに入らないと研修医もあつめられないような革命が起こったことです。いままでは学閥の無かった胸部外科学会だったのですが。
と言うわけで胸部外科学会は抜け殻となっていますがそれでも胸部外科学会の学会長は、歴史ある会ですからみんなやりたい。お金も集まるので豪華にやりたい。と言うわけです。胸部外科学会は専門医をもらえるわけでもなく、せっせと参加しても魅力がなくなっていますので、会長は魅力ある会を演出するのに大変です。
それで外国人招待選手ならぬ、招請講演をたくさん組むわけです。
ガイジンはかつては7から8人でした。誰もが知っている高名な外科医でした。今回の胸部外科学会では老若男女、大小取り混ぜて30人と大部隊でした。これだけの外人どうやって集めたんだろう。30才そこそこののいい加減な若造もいますし、ドタキャンでスカイプで講演をする者も居て時代の流れを感じます。このガイジン部隊を見て、参加者は一体みんなどう思っているんでしょうか?英語できる司会役や、目立ちたがり屋がコメントしてますが”Thank you for your beautiful presentation”お決まりのフレーズから始まる”I think so”みたいなのばかりで演者にこびた内容でお粗末です。
でもやっぱり学会に行くとそこそこ楽しめるのはなんだろうと改めて考えました。地方開催の楽しさ、特に札幌、福岡など地方都市への旅行です。夜の街や食事もです。なぜか皆意気揚々と学会に出かけますね。昔から参加してるから顔見知りも多いというのもあります。夜すし屋に行ったら、カウンター全員胸部外科ご一行様でした。また生きてる人の歴史も観察できます。1年ぶりに知り合いに会うわけで定点観測がお互い出来るのです。”人間年取るんだ”と言うのを実感します。シンポジウムなどで台の上に上がってしゃべるのも学芸会の主役になった気分でちょっと楽しい。などなど、でもそうでなくても、年取っていかなくてもいいのに参加したりするのは人間の『誰かと一緒に繋がっていたい』ということではないかと思ってきました。かっこよく言うと”絆”でしょう。特に日本は学会数が異常に多いです。欧米ではコアの会には多くの医師が参加しますが小さい会はありません。日本人特有な、ムラ社会を象徴しています。また医師が忙しくないからいろいろと会に出席できるということもあります。この時期月のうち1週間しか大学にいない教授もいます。本当に忙しい外科医は患者をほっておいて何日も病院を空けられません。これからの外科医の先生は学会の意味、参加する意義をよく観察し考えて学会を見つめて欲しいと思いました。