私は金沢大学を1984年に卒業し当時WPW症候群や心室頻拍の日本で唯一の不整脈外科治療をやっていた母校の第一外科に入局しました。何よりも入局してからすぐやりたい実験(骨格筋を用いた循環補助)をさせてくれると言われ、決心したのです。結果的にはそれが今の私の運命を決めました。
当初は小児心臓志望でしたが、石川県は小児症例がほとんどなく留学をして考えようとおもいました。手術手技は他の誰よりもうまくできる自信があったことと、実験は好きなので、入局後は夕方になると毎日犬の実験をしていました。英文論文を10本ほど書き、大学院修了と同時にドイツ学術交流会(ドイツ国費留学生)による試験に合格しドイツ行きが決まりました。当時は西ドイツと呼ばれ、通貨はマルク、東西冷戦の最終的な局面でした。渡欧1989年5月にベルリンの壁の崩壊、天安門事件が起こり、東西ドイツが統一することになったのです。その時は友人と東西ベルリンに行きベルリンの壁を削りに行ったことは思い出になっています。
ドイツでは基礎となる心臓手術の修練と、多数の手術執刀、心臓移植まで執刀しました。留学1日目はハノーファー医科大学の手術室から始まりました。いきなり心臓移植でした。ドイツ語はあまりわからいまま朝の7時から夜の8時間まで働き、3カ月した頃、なんとかドイツ語が解りだし、ボルスト教授よりASDの執刀を命じられました。手術が終わり教授よりお褒めの言葉をいただきました。それまで東洋からきた留学生の私を虫けらみたいに見ていたナース、人工心肺士そして同僚たちの態度が一変しました。彼らは力があるときちんと評価をして相手を尊敬する人種だと言うこともわかりました。その後CABGの静脈採取から、開胸、人工心肺装着まで、ボルスト教授とラース助教授の手術はほとんど私が準備をして教授、助教授を待つ毎日が続きました。当時のハノーファー医科大の標準のベンチマークは弁置換であれば皮膚切開から15分以内に人工心肺を装着すること。またバイパスの大伏在静脈採取は1本膝上までで5分。メスの皮切は最初の開創だけ、その後の大伏在静脈採取は切開部よりメッツエンバウムの片刃をSVGのギリギリまで沿わして入れて、一気に中枢まで、皮膚もろともメッツエンで切り裂き上げる採取法で採取していました。テーブル上で拡張しながら糸で結紮し、足の傷は足を挙上して止血し5〜6分で閉創。その後すぐに胸に移動し開胸して内胸動脈採取、人工心肺装着にうつります。特に厳しいボルスト教授は早く現れるのでいかに早く効率よく綺麗な血管を取り準備できるかが自分の評価です。遅いとまず麻酔科の教授から頭をこづかれ「教授がくるから早くしろ」といわれます。そのような後ろから煽られるような過酷な鍛錬のためスピードと正確さは一気に上がり、私は帰国までAMは常に教授と一緒に手術の大部分をしていました。
大動脈弁置換術のスピードと完璧さは術者と第一助手で決まります。手際よくASの石灰化をen-blockに取り、糸をうまくさばいていくテクニックも教わりました。スピードを競うのは良い事ではないと分かっていながら若気の至りで、チーフレジデントの先輩、同僚であったAxel Harerich(現ハノーファー医科大教授)やJoachim Shaefers(Saarland大教授。大動脈弁形成術では世界をリード。日本にも慈恵の国原先生など多くの弟子がいる)などと大動脈遮断時間を競っていたのを思い出します。今日は24分でやったとか26分だったなどと評価し合う中でわかったことがあります。人工心肺時間が短く大動脈遮断時間が短いほど患者の回復は素晴らしく早く、何事も合併症が起こらないことを我々は切磋琢磨する中で“体で知った”のです。CABGは心停止でITA1本計5枝で、吻合は3分、skin to skinは1時間35分以内、心移植は大動脈遮断40分以内がハノーファー医科大では“いわゆる良い手術”の目標でした。覚えるべき時に体で覚えられた外科医は必ずうまくなります。
一方日本の現状を見るとJACVSDデータを元に我々が調査しましたところ(*1)、日本の大動脈遮断時間の平均時間は97分でした。遮断時間が延びるほどmorbidityとmortalityが上がることもはっきりしました。日本の外科医のレベルはまだまだです。ゆっくり丁寧な手術などありえません。患者さんは胸が開いている時間が短ければ短いほど、管、ドレーンが入ってる時間が短ければ短いほど、麻酔時間が短ければ短いほど体への影響は少なくなるんです。このポイントを日本の多くの若い外科医は見抜かなくてはなりません。
留学期間中は多くの症例を執刀しました。3年近い留学期間で最後は週5件の執刀を担当していました。ですから私の人生にとって恩師の一人と言えるのはドイツのハノーファー医科大のボルスト教授です。
こわくて仕事に厳しいボルスト教授でしたが、その下で活躍していた多くのレジデントたちは巣立って、若くして現在ドイツ全土、イタリア、オーストリアそして世界の教授になっています。そのような人達と若い時期に一緒に働いていた事は私を支えています。若い外科医は、超一流の外科医になろうと思ったら下手な手術をみることは一文の得にもなりません。海外や手術の有名な病院に行きその手術の真髄を知らないと時間の無駄使いです。
ドイツより帰国
3年近い臨床留学を終わりいよいよ日本に帰ることになりました。もう2年スタッフで残ることを勧められましたが帰国することにしました。帰国して金沢大学に帰局するやいなや富山医科薬科大学へ助教授とともに移動しました。当時の富山の心臓外科は年間症例数20 例弱、死亡率10%以上と言う惨憺たる成績でした。まずは患者さんを集めから始まり、内科の信頼を得て徐々に患者さんを増やしていきました。ここで新しい手術を行うことになりました。心拍動下冠動脈バイパス術(OPCAB)です。私は1991年帰国直前、ハノーファー医科大で立ち会った事があったのです。そして古い文献を調べ1967年にロシア語のOPCABの論文があったのを見つけました。それによると術式はLADをその下の心筋中隔心筋ごと尖った針のついたサイドクランプで挟み動かないようにした上で冠動脈を切開して内胸動脈をつなぐというもので人工心肺の安全性が確立されてない当時の技術としては期待されるものでした。これをもとに針ではなく吸引器をかけて吻合部を動かなくしてしまえば楽だろうと考えました。それが円型のスタビライザーの発明の最初です。当時東急ハンズで水道の蛇口に取り付ける円形のシャワーを見つけ、その一部が使えそうだったのでこれに柄をつけてスタビライザーを作ったのが最初です(Fig2)。この自作のスタビライザーを使って多くの冠動脈バイパス手術を行いました。その後後輩で大学院生だった高橋政夫君はそれを発展させMIDCABドーナッツを作りました。同時期メドトロニックが直線型のオクトパスと言うスタビライザーを発売しましたが、冠動脈に並列に4つのポットで吸引する巨大なアームで、そのアームはベッドのステーにとりつける形でした。私は開胸器に取り付けられるような小型の蛇腹のついた器具に円形のスタビライザーをつけるよう改良し、安定した術野を得た上での手術を開始しました。いま皆さんがつかっているスタビライザーの原型です。
1994年日本で最初の心拍動下CABGのセッションが開かれました。日本外科学会総会の外科フォーラムセッションです。演者は私と福岡大の田代助教授、六本木心臓血管研究所の青木先生の3人で、座長は北村惣一郎先生でした。私はMIDCABを発表しました。3人の発表が終わった後に北村先生は会場に向かい、“皆さん、ここに集まっている教授達及び各施設の部長の中で今後この手術をやっていこうと思われる方がいらしたら手をあげて下さい”といったところ誰もあげる人がいなかったのを今でも忘れません。これが当時の日本の心臓外科だったのです。
OPCABは日本に瞬く間に広がり日本のGold standardとなっている事は皆さんの知る通りです。その後私はawakeCABGやロボット心臓手術など日本で行われていなかった手術を先行し導入してきましたが、いずれの手術も最初は陰で批判していた輩が、自分の手柄のように発表しようとしたり、手のひらを返したようにその手術を模倣して第一人者ぶる“恥も外聞もない輩”を見ると、ヨーロッパと異なり本邦の心臓外科医界には紳士は少なく、先達への尊敬や、“恥“も知らない輩が多いと感じざるをえません。
最後にこれから心臓外科を目指す若いドクターたちにメッセージをお伝えしたいと思います。
1.これからの心臓外科は大変厳しい時代に入っていきます。Job securityの危機にある職種の1つです。しかし外科が最終的なラストホープである事はいつの時代にも変わりません。カテーテル治療はすべて外科から発生した、所詮デリバティブでしかありません。誇りを持って心臓外科の道を邁進してください。
2.超一流の心臓外科医としての成功には多数のファクターが必要でしょう(Fig)。しかしそれらの苦難を乗り越えた後には、自分でしか味わえない甘美な世界が広がっています。ぜひそれを味わって下さい。
3.ぜひ研究をたくさん行い、論文をたくさん書いてください。アカデミックワークのベースのない外科医は深慮遠謀がなく、ただの名前も残らない職人でしかありません。E○wa○d社でウシ心膜を縫い付けて生体弁を作っている製縫職人の方がよほど器用です。
4.AIロボットはあなたたちたちにとって必須のstandard issueです。なるべく早い時期からこの2つに親しんでおく事はあなたの将来を決めるでしょう。 いま日本に居る3000人以上の心臓血管外科専門医のうち生き残れるのは100人程度だと思います。ぜひとも光り輝く尊敬される心臓外科医になり日本のために尽くしてください。
PS:第4回OPCAB研究会担当いたしました
(*1)Iino K, Watanabe G, and Takamoto S et al.
Prolonged cross-clamping during aortic valve replacement is an independent predictor of postoperative morbidity and mortality: Analysis of the Japan Cardiovascular Surgery Database.
Ann Thorac Surg 2017;103:602–9