師走とは師が走る。本当にその通りで毎日が飛び歩く毎日です。
よく”先生よく体がもちますねえ“”外科医が活躍できるのは60歳まででしょう”なんて僕を目の前に平気で言ってくる御仁がいます。先日有名企業の会長さんでしたが医療をよくわかっていそうな方でさえそう言うのですから日本の外科医は残念ながら尊敬されていません。消耗品の感覚です。アメリカやヨーロッパではまずそのような歪な感覚はありません。日本はそれではいけません。でもなぜそういった相場観が日本にはあるのでしょうか?
外科医が60歳でできないといわれるのは、一つには一般企業、公務員の定年が60歳と厳格に決まっていること。また日本の外科医は手術経験数がすくないので鍛えられていないため、手術が幾つになっても難しく感じているからだろうと思います。だから生活の一部になっていないわけです。そしてだんだん面倒臭くなって手術室に入らなくなると自然60歳でできなくなるでしょう。大学の先生は特に”Campus politicsやCongress politics”に情熱注いで院長や学会長になるために昼も夜も大変です。当然手術室には足が遠ざかるでしょ。
そして何よりも給料定額で保険手技料はだれがやろうと一緒ですし、多くの病院では自分自身の評価にも反映されません。いつしか自分の患者という意識が薄いので最後まで自分で診きろうという執念にかけるのではないでしょうか。できてもできなくても若いやりたがりの先生に丸投げ、無責任ですね。
うまい外科医はおそらく80歳でもうまいでしょうし、下手な外科医は睡眠をたっぷりとった体調万全の40歳でも下手でしょう。ブラジルの世界的外科医Jateneは80歳の今でも日に1-2件の手術をこなし、ロボットも操っています。私の尊敬するトルコのカラゴッツ先生も自分が心臓病で手術をうけるなら自分の師匠(80歳)のByadin先生にやってもらうと言っていました。日本の伝統工芸作家で人間国宝の先生たちはいずれも世に言う“高齢”ですがその技は若い人がかなわない訳でart的な色彩の強い心臓外科には多分に似ていますね。
常に継続することが大事なファクターで”修行を1日怠れば3日後退する”と説いた観阿弥・世阿弥の風姿花伝の言葉は今に生きています。観阿弥・世阿弥の風姿花伝は世界史的にもめったにあらわれぬ達人の世界観でもあって、かつ極上の人間観を描いていて、こと技を究めたいと思っている人にはお勧めです。
今日はひさしぶりのブログですがロボット手術の弁形成手術の患者さんの報告です。先週12月2日にダビンチで僧帽弁形成術をした鹿児島の患者さんです。5日後の7日に退院し、3日間のホテル療養後本日顔を出してくれました。ご家族連れてしかも3歳になる坊やを抱っこしています。これはスゴイ。。今までの胸骨正中切開なら8週間は禁止事項、0MICSでも痛くて抱っこなんてできないでしょう。本人けろっとしています。ロボットの威力をまざまざと感じました。なんでこんな奇跡的なことができる機械が認可されないのでしょう。日本は世界一最先端医療を受けにくい国かもしれません。
デバイスラグと厚労省についてはここでいずれ述べるとして、年末にかけて先週今週と4件のロボット手術を行いました。確実に患者さんに浸透しています。私たち自信もスタッフを含めその良さを実感しています。
こんな日本の医療常識を変えたい!そんな想いで今年の年末も駆け回っています。