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渡邊先生についてエッセイに書きました

2017年1月 大動脈弁置換術 上行大動脈人工血管置換術 原徹様

五月も明日で終わり、梅雨入りの様ですが、今日は天気がよく、洗濯日和です。
私はお蔭さまで、朝涼しい時に散歩をして、元気にしております。
渡邊先生についてエッセイに書きましたので御送りします。

草々
渡邊先生&ワタナベチーム様
原 拝
2017年5月29日

神の手 渡邊 剛先生

原 徹

今年一月三十一日、私は歳も考えず、決心をして心臓の手術をした。手術をして頂いた渡邊剛先生は少年時代「ブラック・ジャック」になる夢を持って心臓外科医になられた(渡邊剛著「医者になる人に知っておいてほしいこと」PHP新書・参考)。子供のころ将来の道を決めることは素晴らしい。漫画の神様、手塚治虫(阪大医学部卒)は心臓外科名医・渡邊剛先生を生んだことになる。私は子供の頃から虚弱体質で原因は後で分かったが、「大動脈弁閉鎖不全」であった。

ここで簡単に私の職歴を記すと、昭和三十四年「東映動画」(現在の東映アニメーション)入社、先の東京オリンピックの時、アメリカに会社より一ヶ月の視察遊学?その十二年後、米国とオランダのアニメの仕事を請け負う自分のスタジオ「トップクラフト」を作った。これが多忙で病院通いどころでなくなり、金沢文庫から南阿佐ヶ谷のスタジオまで長距離通勤とハードな仕事に疲れる毎日、病気のこともわすれて働いた。そこに東映動画時代の後輩の宮崎駿さんの「風の谷のナウシカ」のアニメの依頼が舞い込んできた。その後、宮崎作品の制作経営・プロデューサーとなり、吉祥寺で「スタジオジブリ」の作品を作り続けた。「となりのトトロ」などの作品を作り、新スタジオを小金井に建設するという機会に辞めた。あれから何年経っただろうか?八十一歳の心臓はよく耐えてきたものだと思う。しかし、毎月、診断する近所の循環器の医者が、私の心臓は重篤ですという。神の手の名医・渡邊剛&ワタナベ・チームのニューハート・ワタナベ国際病院に一月二十七日入院した。先端の機械と技術で手術、集中治療室で四日間、二月十三日退院という予想外にはやく、牛の心膜の弁で新しい命を頂いた。渡邊剛先生は遠隔操作でダ・ヴィンチというロボット手術をやられる医療の先端をいく先生である。医学の進歩はめざましい。先生は未来の医師を育てるべく実際に手術現場を子供達に見学させて、将来、医師に興味を持つように、熱心に努められている。先生はドイツに留学、外科の世界は万国共通、実力主義である。先生の医師としての三ケ条「ライオンの心」「ワシの目」「天使の手」は含蓄のある言葉だ。

八十一歳の私は新たな心臓弁でこれから生きることになった。

「悟りとは平気で生きることだ」(正岡子規)

一般財団法人日本老人福祉財団ゆうゆう 第212号 2017年6月掲載

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