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僧帽弁閉鎖不全症が完治してからの楽しみ

先生に頂いたニューハートでこれからは今までよりもっと楽しく生きていこうと思います。

お礼状 W.M.さん
診断名:僧帽弁閉鎖不全症 僧帽弁形成術(da Vinci)

メール外来でお世話になってから二ヶ月。
今日退院の日を迎えることができました。本当にありがとうございました。

不安で一杯だった今までの自分とはお別れし、先生に頂いたニューハートでこれからは今までよりもっと楽しく生きていこうと思います。

2016.2.27

お礼状 W.M.さんのお母様

渡邊先生、石川先生
諸先生方、看護士のみなさん、スタッフのみなさん

大変お世話になりました。
1月の手術の予定が延期になり、2度目の入院でしたが、無事に手術をしていただき、今日退院することができました。
娘と一緒に20日間、病院で過ごさせていただきましたがいつも暖かい言葉をかけていただいたこと、心より感謝しております。
娘の病気が見つかった昨年10月から、本当に辛く長い毎日でした。
年末に渡邊先生とこちらの病院のことを知り、メール外来させていただいたところ、すぐに渡邊先生から返信をいただきました。
あの時のうれしさと驚きは、今でもよく覚えています。
それまでの闘病生活が、とても辛い毎日でしたので、渡邊先生とのメールで、闇の中に光が差したような気持でした。

10月中旬頃から、発熱や咳、体の倦怠感などが続き、かかりつけの近くの内科に通院していましたが、まさか大変な病気だったとは夢にも思わず、原因がわからないまま1か月近く経ってしまい、どんどん体調が悪くなるばかりでした。やっとしてもらえた血液検査で、白血球とCRPの高値がわかり、大学病院に紹介状を書いていただいたのですが、大学病院でも、ただの風邪ですと言われてしまい、一日がかりで待った診察も、学生さんの問診が中心でした。

やっと助けてもらえる、と思って行った大学病院でしたが、「血液検査の数値が高いので心配です。」と訴えても、風邪が治れば下がりますからと、次は3週間後に来てくださいと、半ば無理矢理帰されてしまいました。
娘とふたり、途方に暮れ、そのまま またかかりつけの内科の先生のところへ行き、別の病院に改めて紹介状を書いていただきました。
その足ですぐに病院に向かい、救急外来で血液培養の検査をしました。
2日後改めて病院に行くと、大変な病気であることがわかり、そのまま入院となりました。
告げられた病名は「感染性心内膜炎」。聞いたこともない病名でした。
菌の特定には、数日かかるということでしたが、命に関わる病気であるということを告げられました。
幸い、治療は順調に進み、体の状態は少しずつ回復していきましたが、精神状態は極限でした。
それは毎日刑務所の中にでもいるような入院生活であり、付き添っている私も、本当に辛いものでした。 病気になってしまったことを受け入れられない状態である娘に、19歳にもなって弱すぎる、自分で治す気がないならどうしようもない、何が不安なのか理解できない、いつまで親が付き添う気なのか・・・などと、毎日のように看護士の方たちから言われ続けていました。
主治医の先生は、とても良く治療をしていただき感謝しておりますが、こちら側からは、あまり質問できるような環境ではなく、病気になったことが悪いのか・・・、何故こんなにビクビクしながらおこられながら、辛い検査や治療をしなくてはいけないのか・・・、わからなくなっていました。
そんな中、心臓の手術をしなくてはならないという話を聞かされ、その内容もとても恐ろしいもので、何もかも自暴自棄になっていました。
心臓外科の先生からのお話は、早急に手術をしないと、再発の恐れがあり、再発したらもう抗生剤も効かないのでもうダメでしょう、とか脳梗塞をおこす可能性が高く爆弾をかかえているようなもの、すぐに手術をしたほうがいいので、決断してください。手術の方法は、開胸手術と小切開手術、どっちがいいですか? とまるで物を選ぶような淡々とした言葉に耳を疑いました。そして人工弁か機械になるので、自己弁形成は無理です、この病気の場合は・・・と言われ、まだ若いので、とりあえず人工弁にしておきましょか、30才までに子ども産んでおいて下さいね、その後機械弁にしますからと。
目の前が真っ暗になりました。
もっと、早く病気が発見できていたらこんなことにならなかったのか、どうすればよかったのか、心の底からそれまでの全てのことを悔み泣きました。
でも、翌日、主治医の先生に尋ねると、早々の手術は考えていないし、外科の先生もそんな話はしていないはずですが・・・と言われ、何が何だかわからなくなりました。
それからは、娘も私も精神的に病んでしまい、誰とも話をするのも嫌になり、死を考えはじめていました。 このまま楽に死なせてほしいと何度も訴える娘に、私自身ももう頑張ろうと言う気持ちさえなくなり、二人で死ぬことを考えたりするようになっていました。
うつ状態になっていた私たちでしたが、このままではいけない、病院はここだけではないんだ、絶対に娘を救ってくれる病院があるはず。そう思い、すがる思いで探し始めました。
そして、神様が導いてくださったのでしょうか、渡邊先生とこちらの病院の存在を知りました。
初めてメールをさせていただいたのは、年末の12月29日でした。
渡邊先生からのお返事は、自己弁形成をダヴィンチ手術で行うことが可能であろうとの、信じられない言葉でした。
それから、メールのやりとりをさせていただき、すぐに手術の日が決まり、心を閉ざしていた娘にも、少しずつ希望の気持ちが芽生えてきました。
最初、決まっていた1月の手術は、体調不良で延期になってしまい、いったん(地元)に戻ることになってしまいました。また○○病院で検査を受けることになってしまい、やっぱりダメなのか・・・とまた落ち込んだりもしましたが、絶対に渡邊先生に助けていただける、そう確信していたので、以前のような思いはなく、また必ず渡邊先生のところに戻ろうと前向きな気持ちでした。
そして、ようやく2月12日に手術となり、最高の手術をしていただきました。
ダヴィンチ手術の回復力は素晴らしく、2週間で退院することができるなんて夢のようです。
最高の手術と医療だけでなく、心のこもったスタッフの方々の対応や、素敵なお部屋、美味しいお料理・・・、以前の辛かった入院生活が信じられない、満たされた毎日を過ごすことができました。日本の全ての病院が、こんな素晴らしい病院だったら・・・と思いました。

毎日のように、お忙しくても病室に来てくださった渡邊先生、石川先生、諸先生方、どんな小さな不安にも心から励まし、対応して下さった看護士の皆さん、コンシェルジュさん、前向きに楽しくリハビリをして下さった先生、美味しいお料理を提供して下さり、お掃除をして下さったスタッフの皆さん、いつも優しく声をかけて下さいました。
本当にありがとうございました。
皆さまのおかげで、娘も、私も、家族全員、新しい人生を始めることができます。
お礼の言葉はどんな言葉を使っても表わせませんが、これから、娘が毎日楽しく笑って過ごしていくことが、何よりの恩返しだと思います。
数ケ月ぶりに見る娘の笑顔は、本当に眩しく幸せな気持ちです。
本当にありがとうございました。

お忙しい毎日、どうぞお身体ご自愛下さい。
(長文になり失礼いたしました)

2016.2.27






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